気学って何でしょうか?

気学は東洋占いのひとつです。

人が生活を続けて行くときに、未来にどのようないいことや悪いことが起こるかを知ろうとする目的で、伝承された特定の材料を用いて行う作業と行動を言うものです。

特定の材料とは、孔子によって集大成された「易経」と盤(六種)を基にした暦です。

作業というのは、年間の中でまた月間の中で、どのようなことを考えそしてそれを生活の中に取り入れていくかということです。

行動とは、それぞれの個人の本命からみて祐気方位へ動くことです。分限の中で実行なさればよろしいことで、買い物でも観劇でも、会食でも旅行でも、また散歩でも外に出かけることです。自分で自由に動くことが出来る人は、運の改善はあまり苦もなく出来るものです。

気学は宗教ではありません

宗教は、その中身にある信仰と帰依について、絶対性の追求と絶対的要求が厳存していなければならないもので、信心と言われるように絶対信じなければならないものです。

気学は哲学です。

学問的に説明するのは難しいことですが、簡単に言えば「私はこう思う」ということになりましょう。言われたままに信じて行動することは宗教です。気学は宗教ではありませんから、言われたとおりに信じたり行動することは致しません。
「なぜ・・・。どうして・・・。」自分が納得してはじめて信じることが出来るものです。

また私たちの気学には「絶対と駄目」という二つの言葉はありません。なぜなら気学は人間社会のもので、私たちは神様ではありませんから「絶対」などと決め付けることは出来ませんし、また目的と希望の中で生活をしているわけですから、「駄目」この言葉は不必要なものです。

霊感や超能力、またテレパシーなどは気学には縁のないもので、常識のある人ならば誰にでも解るものです。
それは、個々の体験や経験から得た見方や考え方を、物事の真理であるかのように手っ取り早く結論するのではなく、物事の発生や起源まで探ってみよう、考えてみようとして、その物の本質を知ろうとするからなのです。

占いを迷信と思っている人もいますが、私たちは生活の中で特に占いに関しては、説明の出来ないことについてはそれらを迷信と考えています。常識の上に組み立てられた占いであれば誰にでも納得がいくものではないでしょうか。

もしも本当に自分は運が悪いと思うのであれば、
運を良くする工夫と努力をすればよろしいことです。

では「運」とはどういうものなのでしょうか。

人生の成功率は、素質が三分の一、努力が三分の一、運が三分の一。これは私の持論です。自分の力だけではなく周囲の状況や、他人の協力によって得た結果が「運」です。

「吉凶悔吝動より生ず」易経の中に説かれている言葉で、人はその動き方によっては、よくも悪くもなるとの意味があります。幸福になるため、目的達成のための祐気採りに遠慮は無用です。「運は寝て待て」ではなく「運は練って待て」です。
そして棚から落ちてくる牡丹餅は、自分の手を出して掴み取りましょう。